キングダムの映画にも漫画にも
めっちゃ感じ悪い奴…というキャラで登場している、始皇帝の弟【成蟜(せいきょう)】
兄のえい政から王を奪う為に反乱を起こした後はめっちゃいい奴になるんですが、最終的にまた反乱を起こしてしまいます。
…が!!!
その反乱は呂不韋が仕組んだもの…とキングダムの漫画では描かれているんですね。
そこで!!!
成蟜って本当はいい奴なのか、心底最低な奴だったのか
成蟜の産まれや母親、実績や反乱について解説します!
始皇帝の弟【成蟜】って本当はいい奴?悪い奴?
成蟜(せいきょう)は、始皇帝の弟。
キングダムの映画や漫画を見た人は、成蟜の事を
![](https://debuyorisulimuni.com/wp-content/uploads/2021/09/daietto-4-2.jpg)
こいつ…クソだな
と思った人も多かったのではないでしょうか(笑)
私もいつか出そうと思ってたやつ…😂
今日のあさイチで華大さんからお話出た、
原作キャラにそっくり過ぎて、めっちゃくちゃ嫌な感じの成蟜www
置いときますね〜👍✨#キングダム#映画キングダム#本郷奏多 https://t.co/PKgDi5XZlG pic.twitter.com/v0q5jZNoQR— ☺︎Ah_chan☺︎ (@ah_chan_achacha) March 4, 2022
成蟜をキングダムの映画で見事演じきった本郷奏多(ほんごう・かなた)さん。
本郷奏多さんは、子供の頃から役者をやっていたとのこと。さすが!!!
俺だけが本当の王となるものだ
と、
- 母親が元歌姫の一般人であるえい政を軽蔑したり
- 部下にはわがまま自分勝手し放題したり
- 一生懸命頑張って出世した民間出身の部下を平気で殺したり
成蟜のゆがんだ人格を目の当たりにして、どう育てればこんな人間になるのかと思ってしまった私ですが、漫画では最後いいやつになるんですよね。。。
大人になって、何が正しくて何が間違っているかも把握できるようになり、兄であるえい政を尊敬するようにもなり。
そして、えい政を手助けするようになるんです。
あれ?こいついい奴じゃん!!! と思ったら、最後ははめられて死ぬ…という悲惨な過去を遂げる成蟜。
最初は確かにめちゃくちゃ嫌な奴だった(笑)
でもそれは15歳ぐらいの時。
15歳って、反抗期で憎たらしい時期でもありますよね。
それが成長するにつれて、王族としての威厳も出てきた。
だから、あれ?成蟜っていい奴…かと思いきや、最後反乱を起こして死ぬ…という人生。
- 本当に成蟜はあんな嫌な奴だったのか
- 王族の血が流れているのは本当なのか
- 何故生年月日などの記録がないのか
- 反乱は本当だったのか
- 奥さんの【瑠衣】は本当にいたのか
などなど、成蟜の歴史と生き様も解説していきますね!
始皇帝の弟【成蟜】の母親は本当に王族?
成蟜は
母親が王族出身なので、王家の血を引いているのは俺だけだ
とキングダムの映画でえい政に言い放ちます。
でも…その証拠が実はないんです。
成蟜の父親は、始皇帝と同じ【荘襄王】。
だけど、母親は
- 韓国出身の者
としか記録されていません。
歴史の書物上では、
- 成蟜の母親がどこの王族出身なのか
- 名前は何なのか
すら残されておらず、【韓の夫人】とだけ記載されている。
※ウィキペディアより
だから正直
- 成蟜の母親が韓の国の王族出身なのか
- どこかで見つけてきた一般の女性なのか
分からないんです。
ここからは私の推測ですが、
- 成蟜の母親はそこまで身分の高い女性ではなかった
という可能性もありますが、もしかすると
- 始皇帝の母【趙姫】が怖すぎて身分を隠した
だったのではないかと。
当時秦の国には「後宮」という、王様に仕える女性だけが住む場所がありました。
そこには始皇帝の母もいるわけで。
この始皇帝の母というのが、非常に厄介な存在だったのではないでしょうか。
始皇帝の母【趙姫】は趙の国にいた歌姫で、呂不韋という宰相に利用されて、無理やり成蟜の父【荘襄王】と結婚させられます。
その後、成蟜の父【荘襄王】と【趙姫】の間に産まれたえい政が1歳の時に、成蟜の父は趙姫とえい政を趙に置いて秦に逃げます…!
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置いてったら何されるか分からないんじゃ…
当時、成蟜の曾祖父である【昭襄王】が、和解の為に父親の【荘襄王】を趙に人質として送り込んだのに
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和解なんてくそくらえ
とばかりに、【昭襄王】は趙を攻めまくるんです。
昭襄王ってどんな人?
それに怒った趙の人々は、成蟜の父を処刑しようとします!!
しかし!呂不韋という当時商人だった人物が、成蟜の父を秦に逃してくれるんです。
でもその時、奥さんである【趙姫】とえい政は一緒に逃げる事が出来なかった。
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成蟜の父が逃げるだけでも大変だったみたい
秦の国を恨んでいる趙の人達の矛先は…
- 秦の王族と結婚した【趙姫】
- その子供えい政
となり、残された二人はそれはそれは、想像を絶するいじめられ方をしたそうです。
そこから約8年間、趙で地獄のような日々を過ごした2人。
死ぬか生きるかの瀬戸際を送っていた8年間の間に、地獄の日々を送ることになった張本人である夫【荘襄王】は優雅に暮らし、成蟜の母との間に子供まで作ってしまうんです。
【趙姫】からすると、
自分が苦しんでいる間に何しとんねん
趙での人生、どんだけひどかったか分かっとんのかい
と言いたい訳です。
だからもしかすると、後宮では趙姫の成蟜の母に対するあてつけ?みたいなのが、凄かったんじゃないかなーなんて思う訳です。ハイ
【趙姫】は、趙での壮絶な日常で相当人格が変わった…
とキングダムの漫画では描かれています。
えい政を殺そうとしたり、ご飯を与えなかったり(というか食べる物がなかった)
趙の人に乱暴されたり奴隷扱いされたり…
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趙姫の恨みは相当なものだと思う
だからぬくぬくと夫から保護されて過ごしていた成蟜の母は、趙姫にとっても目の敵。
後宮というのは、日本でいう大奥みたいなもので、怨念と嫉妬が渦巻いていたそうな(急に日本昔話
趙姫が成蟜の母をいじめていたとしてもおかしくない話で、
成蟜の母は趙姫が怖くて怖くて、王の側室である事すらも抹消したかも…。
もしかしたら、今でいう「実家に逃げ帰った」かもしれません。
成蟜は生まれた年が「不明」とされています。
普通、王の子であれば必ず生年月日や母親は歴史上の書物に記載されるはず。
- 父親である【荘襄王】は趙姫の事をとても愛していたので、趙姫とえい政が生きていた事がわかると成蟜はどうでも良くなったのか
- それとも趙姫が、王族の血を引く成蟜をうとましく感じ記録から抹殺したのか
キングダムの映画では
俺こそが王家の血筋をひくもの
と成蟜は言っているので母親は貴族の出なのかもしれませんが、歴史上で一切名前が記載されていない所をみると、、、
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成蟜の母親の身分が分からないと何とも言いようがない…
始皇帝の弟【成蟜】は何であんなに性格悪いの?
- チヤホヤチヤホヤされて、おだてられて育ったから
としか思えない(笑)
というのも、兄であるえい政がまさか生きているなんて、そもそも成蟜に兄がいたことすら成蟜も王家の人間も知らなかった。
だから、王の後継ぎは成蟜しかいないと皆が思っていた。
だから成蟜の周りの人間は
成蟜様こそ王の後を継ぐお方です~
成蟜様の血筋はご立派ですね~ オホホ
とチヤチヤホヤホヤおだてて育てたのでは?
それが父親の荘襄王が王になった途端、いきなり目の前に王位継承者である兄が現れた。
それに怒ったのが、成蟜に仕えていた重臣達。
自分が仕えていた子供が将来王になるからわがままを許してきたのに、王になれないかもしれないと悟ると、今度はえい政の悪口を言いだし、
あなたこそ真の王族です
とかなんとか言って、成蟜にえい政を恨むよう仕向けたのではないかと思われます。
そこからの反逆が、キングダムの映画で起こっていた
- 兄のえい政と成蟜の戦い
但し!!!
歴史上では、えい政が王に就く前に兄弟間で争いがあったとは書かれていない。
でも流れからすると、王になる前の兄弟間の争いは実際にあったのかも。
キングダムの映画では成蟜は最後制圧されて、えい政にフルボッコにされます。
成蟜の性格がねじ曲がっていた理由…
- 周りの人間がえい政を恨むよう、仕向けた
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成蟜の周りの人間が心優しい人ばかりで「人を大切にしなさい」と教育すれば、成蟜は根が優しい人間になったかも
成蟜の実績と反乱
歴史上では
- 成蟜は、兄であるえい政が王になった秦王政の5年(紀元前242年)に韓の国を支配する事に成功し、えい政から「長安君」という新たな位をもらう
となっています。
多分この頃、成蟜はまだ15歳以下。
というのも、
- えい政が1歳の時に父である荘襄王が秦に逃げ帰る
- その後すぐに成蟜の母と男女の関係になったとする
- 妊娠期間を入れると約1年後に子供が産まれた
としたら…成蟜の年齢は、兄えい政よりも2歳下であることは間違いない。
秦王政の5年(紀元前242年)は、えい政がまだ17歳の頃で、王になってから5年目の時の事。
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えい政は、紀元前259年2月18日生まれのみずがめ座
だから成蟜が長安君という称号をもらった時、成蟜は15歳以下という事になる…!
成蟜が長安君になった3年後。
成蟜は趙を攻めるよう、兄に言われて見事攻め落とします
…が。
ここで成蟜は、反乱を起こしてしまうのです。
これは歴史上でも残っている事実で、趙を攻めるまでは反乱などの様子が一切なかったのに、趙を攻めて見事落とした途端反乱を起こす…となっています。
これがキングダムの漫画では、
- 呂不韋に騙された
となっているんですね。
当時呂不韋は、始皇帝である成蟜の兄えい政を暗殺して、自分が王になる事を長年模索していた。
しかし自分が謀反を起こせば殺されてしまう。
なので、全てを成蟜のせいにして反乱を起こした…
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呂不韋はその後、始皇帝の母を利用してまたもや始皇帝に対して反乱を起こさせます
反乱など起こしていない成蟜は、地下の牢屋に繋がれていたけど何とか逃げ出す。
その途中で敵に見つかり、殺される…と、キングダムの漫画では描かれています。
本当に自分で反乱を起こしたのか。それとも成蟜は、周りの人間に振り回され、最後に殺されたのか。
今となっては不明です。
ここで歴史上に残る成蟜の活躍を年表で見てみると…
- 生年月日:不明
- 紀元前242年:韓を支配し褒美として長安君という位をもらう
- 紀元前239年:成蟜が軍を率いて趙を攻撃➡反乱を起こす
- 紀元前239年:死亡
年齢で見ると、成蟜が死んだのは18歳以下の時。
なんだか可哀そうな人生を歩んだように思うのは、私だけでしょうか。。。
成蟜には奥さんがいた…?
キングダムの漫画では、成蟜には奥さんがいて【瑠衣】という女性が登場します。
キングダムの漫画では
瑠衣は実家が趙で、おばあちゃんの体調が悪いので実家に帰っていた時に、成蟜は趙を討たないといけなかったので、瑠衣を助けに行くつもりで趙を攻める役目を自ら背負った。
しかし、反乱のリーダーとして捕まり‥‥
という流れになっていますが、歴史上では【瑠衣】という名前は出てきません。
そもそも成蟜の記録がほとんどないんです。
王族なので恐らく妃はたくさんいたと思いますし、子供もいたとは思いますが…
可哀そうなほど記録がない。
![](https://debuyorisulimuni.com/wp-content/uploads/2021/12/daietto-2.jpg)
始皇帝の弟だったら、もっと記録が残されていそうだけど…
瑠衣という女性がいたかどうかは不明にしても、歴史上で残されている記録として
成蟜の子供が趙で産まれたかもしれない…という説は実際にあります。
そしてなんとその子は、秦の最後の王になるんです!!!
但し、その子の父親・母親共に歴史に名前が残っておらず、
- 兄えい政の子供
- えい政の子供の子供
などと様々な意見が出ており、最後まで誰の子か分からなかったのだそう。
若くして死んだ成蟜。結局、彼も国に振り回された一人。
まとめ
父である荘襄王も秦の国と呂不韋に振り回された一人
おじいちゃまである孝文王は暗殺説も…!
キングダムの映画を見る限り、成蟜も王の器ではなかった。
秦という巨大な国にいた歴代の王族は、結局部下によって振り回されていたのかも。
それを食い止めたのが、始皇帝えい政。
キングダムの漫画では、更に詳しく成蟜や始皇帝の関係が読み取れます!
キングダムの他の実在するキャラクターも要チェック!!!
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